私はタバコが大嫌いでした。今もスタンダードなタバコを吸えるかといえば吸えません。タバコ嫌いの理由は幼年期の父親のマージャンしながら放置されていくタバコとその大人の醜態です。私は扁桃腺が弱く風邪をひくと喘息のように咳が止まらないのに、父親は自分本位に仲間を家に連れいれてはマージャンを始めるのです。お仲間が「お子さんがかわいそうだから」と言えば、父は「あんなの死ねばいい、早く始めよう」ってな具合で、煙は狭い部屋を占拠し、臭いや雑音が消えませんでしたから、風邪も治りにくかったのを記憶してます。
以後、何故大人の男はタバコを好き放題に吸ってポイ捨てなどする、痰を吐くなどの行為が出来るのかと疑問を持ってました。10代にもなれば、友人たちも好奇心から隠れタバコをするので、「何故吸いたいのに、隠れるの?未成年でも吸いたければ親の前でも吸ってみせて意見せよ」と威嚇ばかりしてましたね。
大人になってからは、社会に出ると男性社員が仕事中にタバコを吸うのは、女が仕事中にお菓子を食べながらするのと近い愚かな行為と会社でも威嚇。
タバコの嫌いな原因は煙と歩きタバコがありますね。他者が吸う煙はただ臭いだけじゃなく、耳鼻咽喉や眼球にも染み渡りますから、今はともかく以前なら吸わない側が黙って我慢しかなかったのです。歩きタバコでは私は何度か他人に焼けどさせられて謝罪もありませんでした。
コマーシャルで子供の目線を使うのは効果的だと思います。喫煙者の立場からすると子供の鋭い目線は何よりも怖いものですが、男性よりも一緒にいる母親や通りすがりの女性にもそれを気遣いしてほしいところです。
表を掃除してると必ずポイ捨てに遭遇しました。
掃いてる側から無意識に捨てるご近所さんには「ここのちりとりに吸殻を捨ててくださいね」と軽く言えば逆切れ。ますますタバコを吸う人間に対して疑問を持ちました。
そこで私は、何故人がマナーを上手く意識できないでいるか、タバコがないと辛いのかを只今研究中にあります。外出先ではまだ吸っていませんが、フレーバー物で家の中で試していますが、ツボにはまると「これなのか?」という感触が出てまいりました。旨いのです。
後は公共といえど公共のどこでどういうタイミングで
吸いたい願望を、周囲の人間の嫌悪の視線かと上手く付き合うかです。タバコ以外でも害はあると理論を摩り替えてはなりません。苛々せず、おおらかな気持ちでおおらかにタバコと他者と向き合うのが第一条件だと思います。禁煙者より喫煙者のほうが吸うことへのやましさを内心抱えてるのではないかと思えます。携帯灰皿を常備していても、喫煙所でも風に乗った煙は浄化されないので、今後喫煙者の働きで世の中も変わると信じてます。 |